カンボジアにある小さな英会話スクールの大きな挑戦

中央と周縁―世界システムが生まれた理由

 
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前回の記事で、構造的暴力の背景には世界システムがあると述べた。

また、不均衡な関係を周縁に押し付けてしまう世界システムが生まれたのは植民地支配にあるとした。

 

今回では、世界システムが生まれるようになった理由を深堀していきたい。

 

世界システムができた理由

世界システムの元になった従属理論を唱えたフランクによれば、低開発的衛星諸国(サテライト)は、ヨーロッパの先進的中枢諸国(メトロポリス)に征服・植民地化された結果、サテライトの経済余剰は剥奪され、収奪されたものはサテライトに流用されたのだそう。

またフランクは、経済余剰の流入をチリの事例をまじえながらこう分析した。

 

帝国主義中枢国はチリの経済余剰を収奪し、それを自己の発展のため流用していた。チリ硝酸塩はチリ経済を発展させないで、ヨーロッパ農業の発展に寄与してきた。ヨーロッパ農業は当時技術進歩のまっただなかにあったが、それは一部にはこのチリ肥料のおかげであった。

第一次世界大戦の後、ドイツはより安価な合成代替品を開発した。そうすると、すでにかなり枯渇してしまっていたチリの硝酸塩鉱山は大部分放棄されてしまった。硝酸塩から生ずる潜在的な経済的余剰と資本力は浪費され、他国の発展に献上されたままで、チリがそれをとりもどすことはけっしてなかった。(Frank 1976:112)

 

チリは中枢国によって衛星国化され、チリの肥料も中枢国によって収奪され、浪費されるだけだったのである。

チリだけでなく、帝国主義時代の中では多くの国々がこのように中枢国の発展のために衛星国化された。

衛星国化された国々は自国を発展させる手段がなくなり、中枢国に依存せざるをえなくなる。その結果、世界大戦後世界システムとして、従属関係はより強固になって現在まで続いているのだ。

 

世界システムを強固にするもの―「不等価交換」

世界システムがここまで強固になったのは、植民地時代の収奪のほかにもう一つ理由があった。

それが戦後から現在まで続いている中枢国ー衛星国間の「不等価交換」である。

 

商品の価値はそこに投下された労働量で決まる。基本的には、衛星国と中枢国間の中で労働量は等しく投下されている。にも関わらず、周縁から中央に価値が移転している現状がある。そのためには、周縁で生産された商品の価格が労働量によって規定される価値よりも低く設定されてなければならない。

また労働量によって規定されている価格よりも低いのは、そこに投下されている労働者の賃金が規定よりも低く見積もられているからである。(これを労働価値説と言ったりする)

 

わたしは以前、この労働価値説についても論文で言及したことがある。それを見てみることにしよう。

「労働力」という商品の価値は労働力を作り出すのに必要な労働(「必要労働」)量に等しい。労働者は自ら
の労働力を市場に売る(交換する)ことによって必要労働量に等しい対価、つまり「賃金」を獲得する。

ようするに、賃金は労働力を生産・再生産することによって生み出されるのである。さらに労働者が長い時間働くということは、労働力を再生産するにたる必要労働量を超えて労働することである。そうすることで、「剰余労働」が発生するのである。この剰余労働は生産される商品に投下されることによって、商品の価値がさらに増える(「剰余価値」が発生する)のである。

剰余価値を生み出すと、商品を生産するのにかかった価値、つまり原料と労働力にかかった費用よりも生産された商品の価値が高くなるので、等価交換を行ったとしても利益が生まれるのである。

 

つまり、規定を超えた労働量を投下させることによって、労働量よりも賃金が低くなり、その結果、不等価交換で中央が利益を得るという仕組みができあがるのだ。

 

まとめ

一度できあがったシステムは簡単に崩すことができない。

それを作ったのは我々中央の人間である。構造的暴力は特定の何者かに帰責することはできないと以前述べたが、それでもその責任が分有されているという自覚は必要なのだと思う。

 

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